男性中心社会を颯爽と生きた作家・吉屋信子 「シスターフッドの源流」が現代に訴えかけること
昭和初期、ゼロから自分で稼いだ資金でゴルフを楽しみ、競馬の馬主にもなった初めての日本人女性。テレビドラマ化された歴史小説「徳川の夫人たち」など、一貫して女性に焦点を当てた作品を書き続けた作家・吉屋信子(1896-1973)の特別展「吉屋信子展 シスターフッドの源流」が、横浜市中区の神奈川近代文学館で開催されている。
恩人たちの支えと自立への道
女性に選挙権や相続権がなかった1896年に生まれた吉屋信子は、8人きょうだいの一人娘として育った。幼少期から成績優秀で文才に恵まれ、文芸誌への投稿で入選を重ねていた。栃木高等女学校時代、新渡戸稲造の「良妻賢母になる前に、一人のよい人間とならなければ困る」という講演に深く感銘を受ける。家事や洋裁中心の女性教育に不満を抱いていた信子は、この言葉を胸に刻み込んだ。
もう一人の恩人は兄の忠明である。女学校卒業後、作家を志す信子に対して、男尊女卑の考えが根強かった父は「男ならともかく…」と反対した。しかし、文学青年で妹の文才を高く評価していた忠明が父を説得。東京帝国大学に進学していた忠明は、信子を東京の下宿先に迎え入れ、執筆活動を全面的に支援した。信子は後に「兄がいなければ、私は地方の無名の主婦として不満をため、家庭という檻の中で朽ち果てていただろう」と述懐している。
男性中心社会への異議申し立て
1916年、少女誌に投稿したロマンチックな少女小説「花物語」が好評を博し、連載化される。1919年には、没落した一家の姉弟が支え合って生きる「地の果てまで」が大阪朝日新聞の懸賞小説で一等を受賞。同紙に連載され、人気作家への階段を上り始めた。
父が1919年に亡くなった直後、信子は断髪して「おかっぱ頭に洋装」という独自のスタイルを確立。和装が当たり前の時代に、このファッションは世間を驚かせた。吉屋家の「檻」から解放された信子は、ネクタイを締めることもあった。これは明らかに男性中心社会への当て付けであった。
1936年に発表した「良人の貞操」では、女性にのみ姦通罪が適用され、男性の女遊びには寛容な社会の矛盾に異議を申し立てた。1964年には「ときの声」で、キリスト教団体が推進した廃娼運動の歴史をノンフィクションとしてまとめ、大きな反響を呼んだ。
絶大な女性人気と新境地の開拓
中高年男性が幅を利かせていた当時の文壇では異分子と見なされ、陰湿ないじめも受けたが、信子はお構いなしであった。次々と話題作を発表し、その成功の証として1962年、神奈川県鎌倉市長谷の広大な敷地に数寄屋造りの家を建設。現在は吉屋信子記念館として公開されているこの家で、「女人平家」など女性を主人公とする歴史小説を執筆し、70代にして新境地を切り開いた。
信子は生前、女性読者から絶大な人気を博していた。作品そのものはもちろん、男性にこびない自立した生き方に、特に若い女性たちが「私もそうなりたい」と憧れを抱いたのである。
現代に響くメッセージ
神奈川近代文学館の学芸員、秋元薫さんは次のように語る。「信子が没して半世紀以上が経過しましたが、いまだに男性中心社会の問題は残っています。信子の作品を今一度読み、現代のジェンダー平等について考えてほしいと思います。彼女が描いた女性同士の絆、シスターフッドの源流は、現代社会にも通じる重要なテーマです」。
特別展では、信子の日記の一節も展示されている。「私はタンクだ 色の黒い鋼鉄製のタンクだ。このタンクは針金のような断髪を風になびかせて、颯爽として人生の曠野を横切る」。この力強い言葉は、男性中心社会に立ち向かう信子の決意を如実に物語っている。
特別展は5月31日まで開催されており、原則月曜日は休館。また、国の有形文化財に登録されている吉屋信子記念館は、4月30日から5月5日まで公開が予定されている。生誕130年を迎えた今、吉屋信子の生涯と作品は、ジェンダー平等が叫ばれる現代社会に新たな光を投げかけている。



