「話が違う」と去った同僚…簡宿街の診療所に迫る存続の危機
横浜市中区の寿地区で長年にわたり地域医療を支えてきた「横浜市寿町健康福祉交流センター診療所」が、深刻な存続危機に直面している。かつて「女赤ひげ」として親しまれた故・佐伯輝子医師が開所したこの診療所は、2011年から緒形芳久医師が2代目所長として内科診療の大半を一人で担ってきたが、2022年に退職。その後、3代目所長を迎えたものの、従来と同じ働き方を継承できる後継者がなかなか見つからず、苦境に立たされていた。
「一人に頼らない体制を」若手医師の奮闘
その頃、診療所で働き始めた横浜市立大学准教授の金子惇医師(42)は、早くから危機感を抱いていた。「一人の医師に依存せず、持続可能な体制を整えなければならない」という強い思いから、金子医師は他の医師やスタッフに働きかけ、改革を進めていった。具体的には、内科診療を複数の医師によるシフト制に移行させたり、二人の医師が同時に診察を行う「2診制」を導入したりと、一つひとつ変化を積み重ねていったのである。
しかし、この改革は順調には進まなかった。長時間に及ぶ会議が続き、新たに採用された医師からは「診察だけすれば良いと聞いていた。話が違う」という不満の声が上がった。その結果、約一年の間に複数の医師が退職し、所長のポストも空席となる事態に発展。診療所はまさに「存続の危機」に陥ってしまった。
お好み焼き屋での懇願と新たな模索
しばらくは金子医師が、大学と診療所の共同研究の一環として週4回の診療を担当した。しかし、大学での業務も並行して行わなければならず、このままでは「長くは続けられない」という焦りが募っていった。そんな中、金子医師の頭に浮かんだのは、ある思いがけない人物だった。具体的な名前は明かされていないが、地域医療に深く関わる別の医師に、お好み焼き屋で「所長になってくれませんか」と直談判したというエピソードが残されている。
この診療所は1979年の開所以来、日雇い労働者を中心とした地域住民の健康を守る重要な拠点として機能してきた。初代所長の佐伯輝子医師は30年以上にわたり献身的な診療を続け、「女赤ひげ」の愛称で親しまれた。2代目の緒形医師もまた、一人で内科診療の大半を担い、地域に根差した医療を提供してきた。しかし、そうした個人の献身に依存する体制そのものが、現代の医師不足や働き方改革の潮流の中で限界を露呈しつつある。
現在、金子医師を中心とした若手医師たちは、診療所の存続に向けて新たな連携の形を模索している。大学との共同研究を活かした持続可能な運営モデルの構築、複数の医師によるローテーション診療の定着、地域全体でのサポート体制の強化など、多角的な取り組みが進められている。簡宿街という特殊な環境における医療提供の難しさと、それを支えようとする医療従事者の熱意が交錯する現場の現実が、ここにはある。



