数年ぶりに中学校の同期会に出席した。当日は胃腸科検診があり、昼からの会合に絶食明けで空腹の状態で参加。すきっ腹にアルコールは危険なので炭酸水を飲みながら、懐かしいクラスメートとの会話に夢中になった。
「記憶」には濃淡がある
私が通っていた千代田区立九段中学校は、現在は九段高校との統合で中高一貫校となり、跡形もない。しかし、狭いコンクリートの校庭でフォークダンスをしたこと(時代を感じさせる)、やたらカルキのにおいが強い屋外プールの授業が嫌だったことなど、はっきりした記憶とあいまいな記憶が混在している。誰かが話題を出すと、別の誰かが記憶の誤りを訂正したり補足したりして、互いの記憶の濃淡や思い込みの不確かさを笑い合った。
中学時代の思い出だから、記憶が正確である必要は全くない。「意外に昨日のことより覚えているものだね」と、年齢とともに過去の出来事の方が記憶に刻まれている現象を面白がった。中には、当時のスクール水着の色や形、クラス別のスイミングキャップの色まで詳細に覚えている男子(高齢男性のカテゴリー)がいて、当時は女子たちのひんしゅくを買っていた。
私は記憶をなくしたのか…追い詰められた村木厚子さん
ここまでは「思い出」という名のふんわりした「記憶」だが、自分の記憶が別の誰かの、あるいは誰かに都合の良い記憶に塗り替えられる恐怖について、震撼したことを記したい。今年3月に出版された元厚生労働事務次官・村木厚子さんの『おどろきの刑事司法 “犯罪者”の作り方』を読んだからだ。
詳細は省くが、村木さんは厚労省勤務時に「障害者団体関係者から依頼を受けて公文書を偽造した」といういわゆる「郵便不正事件」で逮捕され、一貫して容疑を否認したため164日間も勾留された冤罪事件の被害者である。村木さんは本の「はじめに」でこう書き出している。「私はかつて、突然、身に覚えのない罪で逮捕されました。何が起きているのか、最初は理解できませんでした。容疑を否認し続けた私は、164日間も拘置所に勾留されました。もしかしたら、私は自分でも気づかないうちに別の人格になって法律に背く行為をし、その時の記憶をなくしてしまっているのだろうか――。」
ご自身でも「そんな突拍子もない」ことまで考えたと書かれているが、それほど周囲の虚偽証言で外堀を埋められ、検察の「ストーリー」に都合の良い調書を作成された恐怖と無念さに追い詰められていたことが分かる。人間の記憶は完璧ではない。村木さんを最終的に救ったのは、こまめに記していたスケジュール手帳や業務日誌などの「記録」だったという。
冤罪をなくすために期待したいこと
それでも、外界との接見を禁止され、検事とのやりとりに終始すると「自分の記憶にどんどん自信がなくなった」と村木さんは書いている。勾留し続ける「人質司法」の怖さだ。また村木さんも指摘するように、マスコミによる度を越えた取材攻勢とセンセーショナルな「決めつけ」報道姿勢も、厳に自戒を込めて猛省すべきだろう。
最終的に村木さんは「家族や仲間、支援者、弁護団」の支えで無罪を勝ち取り、冤罪を晴らした。しかし村木さんは99.9%と言われる日本の刑事裁判の有罪率の高さに警鐘を鳴らす。「以前は検察の優秀さを示す数字と言われてきたが、本来なら無罪となるべき事件や、無実の人たちがかなりの数、有罪になっていることが指摘されている」と著書で述べている。
最近、再審制度の見直しが議論され、再審請求に対する検察側の不服申し立ては原則禁止となった。検察の迅速な証拠開示や取り調べの完全可視化が、私たちの記憶の不完全さゆえの冤罪を一件でも減らすことにつながることを期待してやまない。



